57年後の後輩の皆さんへ

(校歌額揮毫の感謝状贈呈式に出席して)

私は昭和34年(1959)この学校の定時制を 卒業しました。

昼の仕事を終えて、夕方6時~9時の授業は疲れて

居眠ることもありましたが、充実していて楽しかった。

齢の離れたクラスメート、ユニークな先生方が多くおられました。

化学のU先生の授業は「そもそも・・・・」で始まり、途中から山の話に

切り替わることが たびたびでした。隣市の高校登山部の遭難事件を題材

した井上靖の「氷壁」があるが、この遭難時 救助活動に参加された。

「その質問は解からないので、来週調べてきます」と誠実に対処して下さった生物の I 先生。

「月給の1割は本代に当てよ」言ったK先生は 大学を出たばかりの歴史の先生。3年生4年生と続けて担任して下さったが、放課後教えてくれた

ロシア民謡は今でも口ずさむことが出来る。また当地ゆかりの「英一蝶」

(1652~1724元禄時代の画家、三宅島に12年間流刑)の研究

の話に私達は 刺激された。K先生とは卒業して数年後、京都美術館でバッタリお会いし、「書を始めた」と打ち明けました。

 

夜の学校は 暗く寒く、学力は期待できなかったが、「血湧き肉躍る」

青春時代。さながら、山田洋次監督の「学校」を彷彿とさせます。

16歳からつけている日記を 読み返してみると、恋文を書いて渡せなかった悩み、謝恩会に毎年 演劇で参加したこと。生徒会総会で侃々諤々の議論をしたこともあった。その論敵も4年前に鬼籍の人となりました。

劣悪な教育環境だったが、学ぶことの幸せを知ったのは有り難かった。

コツコツと誠実に積み重ねてきた57年間の結晶が、母校の校歌額の揮毫

をさせて貰って 恩返しが出来たかなと思っています。

 

2014年7月23日(水)大暑 旧暦6月(水無月)28日 No15

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コメント: 2
  • #1

    池崎 浩美 (素絢) (金曜日, 08 8月 2014 18:48)

    ステキなホームページができましたね。
    書壇を退かれてからの松井さんの作品大好きです。
    これからも楽しみにしています。

  • #2

    (水曜日, 17 12月 2014 17:00)

    母校 1999年の卒業生です。
    一度訪問して、観て見たいですが、
    お世話になった先生方が居ないと思うので、訪問が無理かと。