岐阜県美術館で開催中の「熊谷守一展」を観ました。
(9月1日~10月19日)
私が「熊谷守一」(1880~1977)の名前を知ったのは50年前。
倉敷美術館に展示されていた「陽の死んだ日」を見た時です。
次男の陽が 息を引き取った後、30分で描き上げたという絵から悲しみ
と もどかしさが伝わってきます。4歳で死んだ息子の治療の為、「絵を書いて下さい」と言う奥さんの願いに「こんな時、とても描く気になれぬ」と葛藤しながら、オロオロしている情景が目に浮かびます。
守一の父は 製糸業を営み、岐阜市の初代市長・国会議員を勤めた絶対的な存在だったが、守一22歳の時、急死しました。
1967年 87歳の時、文化勲章の内示を受けましたが辞退、その無欲恬淡とした潔さが 感動的でした。
先輩のN先生は 晩年の守一の家(東京・千早町)に出入りを許された人ですが、「守一先生は蟻の生態を 一日中眺めているような 子供のようなお人だった」と、生の暮らしを教えてくれました。
幼児の持っている純粋な感性を 98年の生涯、失わなかった人です。
人は年齢が上がるにつれて 世俗の垢にまみれます。その垢をどうしたら
防げるか、私にとって守一芸術は 大きな清浄剤です。
コメントをお書きください
hiromi (木曜日, 02 10月 2014 16:19)
私も熊谷守一さんの作品大好きです。