
「貴方は どんな古典が好きですか?どんな勉強をしましたか?」と言う質問をよく受けます。
余り考えたことは有りませんでしたが、改めて昔の資料を調べて見ると、多岐にわたって 勉強していました。
最近、何十年ぶりかで「良寛」を臨書したら、全く気づかなかった魅力を 発見出来ました。
篆・隷・行・草体は勿論、木簡・残紙、王羲之、甲骨文、金石文等を創作に使い
日本の古典も良寛、佐理など好きだと思うものは 深浅別にして吸収しました。
勉強の基本的な考え方は「低い山より、エベレストのような高い山に登る」事で
一貫していました。明清時代のものより、木簡や王羲之に挑戦したのも、すぐ
修得できる連綿より、難しい単体(一字づつ書く)にあこがれたからです。
その前に 無謀にも「遺偈」(ゆいげ・禅僧が亡くなる時、大悟の心境を四言四句や七言絶句の形で書く)の研究と創作に 費やしました。
その後,木簡に移り 日展に出品しますが、いつも落選していました。そんな時
著名なF先生から「木簡はまだ書道界で市民権を得ていない。王羲之を取り入れてはどうか」とアドバイスを頂きました。以後、木簡の見方が深まり表現方法も広まったように思います。
漢字と並行して、「調和体」にも興味をもちました。「良寛」が好きで 臨書に夢中になり、「与謝野蕪村」や「高村光太郎」にも手を伸ばしているうち、自然と私流の 仮名が出来て行ったように思います。
2015年2月4日(水)立春 旧暦 師走 12月16日 NO29
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池崎 浩美 (金曜日, 13 2月 2015 17:55)
確かに、明清の書風は作品にしやすく、そういう私も傳山を書いています。俗っぽくなりやすく、品のある力強い作品になかなかなりません。