


4月12日 明星山・国分寺(亀山市白木町)の「虚空蔵<こくぞう>さん」に
御参りしました。ご本尊の虚空蔵菩薩は 12年毎(羊年)のご開帳で、当地のお祭りです。たくさんの人が 杖をついて急坂を登り お参りしていました。
815年弘法大師42歳の時に当寺を訪れ、虚空蔵菩薩を柏の木から刻し、ご本尊としたと 寺の縁起に書いてあります。
もともと、国分寺は741年 聖武天皇が「国分寺建立の詔」を発布して 各地に建てられましたが 時を経て各宗派に引き継がれ、真言宗・御室派「明星山・国分寺」として 現在に至っています。
弘法大師は またの名を「お大師さん」と言って慕われ、今も「四国八十八か所めぐり」は 霊場として、人々の心の拠りどころとして有名です。
(上の作品は 空海の「風信帖」<810年・国宝>を臨書したもの)
もう一つの名「空海」は 私の仕事に大きな影響を与えています。
書を始めた20代 先輩に連れられて、京都博物館に行き、国宝「風信帖」と
「灌頂暦名」を直に見、平安時代の三筆 嵯峨天皇・橘逸勢と並び称せられる
「空海」の名を始めて知りました。
空海は 書写力はもちろん、語学力や文章力が卓抜していて、遣唐使船が 福州に流れ着いた時、その地の役人が驚いたことや 長安の都に行き着くまでの
ストーリーは 司馬遼太郎の小説「空海の風景」に詳しい。
空海が青龍寺の恵果和尚から 密教第8祖の資格を授かって806年・33歳の時帰国。最澄との交流の始まったころの「風信帖」、最澄とその一門に灌頂を
授けた812年・39歳の「灌頂暦名」は書道上の価値はもちろんですが、歴史的にも意義深い。
空海や最澄は 奈良仏教と違って 寺院を都でなく、山岳・山林に置いて修行の場としました。
各地の山を飛び歩く お大師さんは 現代のスーパーマンのようです。
2015年4月20日(月)穀雨 旧暦 弥生 3月2日 NO35
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