書家が書家でなくなる岐路

檀家寺の本堂修復を記念して、私の作品を奉納

させて貰うことになりました。

ご住職と相談して 字句を決め準備しました。

創作のイメージに使ったのは「三輪田米山」

(1821~1908)愛媛県松山市の神主さんです。

昔、師匠が好んで書いた古典です。

私は22歳で書を始め、30歳から9年間の書生勤めを経て、54歳で書壇を離れました。書生時代の1970年代は 精力的に勉強する師匠の傍らで、集字・

墨磨り・揮毫の手伝いをしながら、呼吸みたいなものを身に付けることが出来ました。又、師匠が中心になって推進した「日本の書展」などの事業の事務も手伝いました。


書生と言う仕事は 自分のための勉強時間は極少で、雑務が多い。創作の苦しみに比べ、雑務は即、結果が出るから充足感がある。いつしか、その魔力に 取りつかれて しまっていました。しかし、公募展に出品する私の作品は 惨めな出来。「このまま事務屋に専念しようか」と悩んで先輩に相談したら、「何のため周囲の猛反対を押し切って書の道に入ったのだ」と強く忠告されて目が覚めた。

書家が書家でなくなる魔界の岐路から 脱出できた瞬間だった。

書家は書のためにだけ エネルギーを使う。この時、肝に銘じた決意でした。


この頃、日本の政治家も 経済人も 教育者も 医療関係者も 男も 女も

本来の姿を見失っています。もちろん書道関係者も原点を忘れ、若い時に蓄えた

技術に頼る人が多い。10年後の書壇が 消滅するかも知れないと言う評論家がいるが、当たっているかも知れない


  2015年7月23日(木) 旧暦 水無月 6月8日 NO41

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コメント: 4
  • #1

    まきこ (日曜日, 26 7月 2015 23:11)

    松井先生、ありがとうございます。
    忘れていた気持ちを思い出しました。
    「書くことが楽しい!」いつまでも楽しく書き続けたいと思います。

  • #2

    ひろみ (土曜日, 01 8月 2015 15:46)

    いつまでも書けない地獄でもがいています。
    でも、これって幸せなのかも。ずっと求めているものがあるってことですからね。少し近づけた時の喜び大きいですから。
    書道甲子園のように、今の高校生すごいですよ。
    私はその流れをくむ若者達が日本の書壇を背負って立てくれると、期待しています。

  • #3

    いしみずけい (日曜日, 02 8月 2015 09:36)

    書く行為は 息をするようなもの。歩くようなもの。習慣にしてしまえば、
    しめたもの。癖にしてしまえば、楽なもの。
    墨をたっぷりつけて 勢いで出す渇筆は、創作の工夫で 頭を絞った上、
    「楽しい!」と感ずるに似たり。27・8・2

  • #4

    原 村人 (金曜日, 07 8月 2015 14:08)

    高原の我が家でも連日の暑さには、さすがにウンザリ。朝晩の涼しさに救われています。今日便りが届き、久しぶりにブログを拝見した次第です。
    師匠の元をなぜ離れたのか、このコメントを読んで合点がいきました。書家に限らず、何事に置いてもプロに徹することは、その道に全力を尽くす事だと私も思っています。後を追いかけている者には、老いて増々精力的に創作に励んでいる姿は嬉しくもあり、楽しくもあり、こちらも元気になります。