何故 夏休みの川に 子供がいない?

今年の猛暑は異常です。これが常態化して、来年以降 もっと気温は上がるでしょう。こんな時、川に浸かって泳ぐとき、暑さを忘れて涼にひたれます。

ところが、この頃は夏休みと言うのに 川には誰もいません。昔は正午を過ぎると、下の谷川から 賑やかな子供達の声がしたものですが、何故 川から子供がいなくなったのでしょうか。

それは、60年前の1955年(昭和30年)7月28日に起こった津市橋北中学校女生徒水難事故が原因です。安濃川河口海岸で異常潮流にのまれて、36名の女生徒が亡くなった事件は 学校幹部3人が起訴され、第一審で有罪、第二審での名古屋高裁で無罪になりましたが、この裁判は全国に波及し、学校関係者や保護者達を委縮させ、「危険な所では遊ばせない」大人の監視下外では「水遊びは禁止」と言うきまりが ゆっくり全国に広まっていきました。


私達の子供時代は 幸せでした。昼ご飯を食べると畑のナス、トマト、キュウリをもぎとり、水中眼鏡とタオルを持って 下の川に直行、日が沈むまで遊びました。さらに夕方になると、うなぎを捕るために 流し針を仕掛け、翌朝 暗い内に引き上げに行く。

まさに川は 子供達にとって、遊び場であり、人間関係の絆を作るため、生きるための訓練場でもありました。

私は後になって気付くことですが、書作のアイデアの源はこの時期に蓄えていました。知識は対岸に渡るための 筏みたいなものだと中川一政は言います。

子供時代の遊びは 誰にも真似の出来ない その人独特の「感性や創意工夫」の核みたいなものを、芽生えさせているように思います。


 2015年8月8日(土) 立秋 旧暦 水無月 6月24日 NO42 

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コメント: 1
  • #1

    PINO (日曜日, 09 8月 2015 13:49)

    いつも、楽しく拝見させていただいています、原村人の娘です(笑)
     
    そうですね、近頃は児童館に息子を遊びに連れていっても、
    ここで遊んじゃダメ、これは危険だからダメ、
    ここからは大きい子が遊ぶエリア・・
    と、耳にするのは子どもの好奇心を損なうような事ばかりでです。
    何かあった時の責任の重さはよくわかりますが、
    違和感をいつも感じています。
     
    だからこそ、幼稚園などは
    「うちに入れたいなら、すり傷、多少のケガは覚悟して下さい」
    と言ってくれている園に入れたいと思っています。
    預かる側も相当大きな覚悟を持っていると思うからです。
     
    私の創作の源にも、そちらで見た風景や遊びは少なからず
    あると考えています。
    下の川で泳いだりした楽しい思い出はいつまでも忘れません。
    いつか、息子を連れてまた遊びにいかせてもらいますね。