オリンピック・エンブレムと芹沢銈介

エンブレムが披露された時「なあーんだ」と思いました。始めて見た時に感ずる

ときめきがありません。模倣、盗作の疑いをもたれて、原案なるものが出てきましたが「修正に応ずるとは、この人には創作家のプライドはないのだろうか」と

思いました。

オリンピックという世界的な大舞台に臨むにあたり、日本人の誇りや責任を感じなかったのだろうか。選考過程は 伝えられるところによると、2種以上の受賞歴のあるデザイナーを対象に募集し8人の審査員が決めたといいます。

日本の現代の美術団体は 権威主義が横行、真の芸術を拒否しています。

白紙撤回後、一般からも公募すると聞いて良かったと思いました。


このニュースを聞いて、芹沢銈介(せりざわけいすけ)を思い出しました。(1895~1984)10年前に見た「芹沢銈介展」(2005・1 名古屋松坂屋美術館)は驚きの連続でした。「この図案のアイデアは 何処から導き出したのか」感動をもって見て回りました。

静岡市の 裕福な呉服商の次男に生まれ、恵まれた環境で育ちましたが、三度の火災に会うなど、決して順風満帆ではありませんでした。

芹沢銈介の強みは 晩年まで続いた精密な植物、人物、静物、風景など多量のスケッチ。古今東西の世界中から収集した5500点の美術工芸品。民芸運動の

柳宗悦や棟方志功等の一流の美術家に囲まれて、活動したことでしょう。


私達書家は古典の臨書によって、筆力を鍛えます。私は先輩から「宋以前の古典を学べ」と教えられて、木簡・残紙を長年研究しました。資料が少ないので、陶芸家が土片からヒントを貰うように、残紙の断片から線質・造形を学んだものです。


 2015年9月8日(火) 白露 旧暦 文月 7月26日  NO44