何時頃からピカソ特有のキュビスム(立方体)のスタイルになったのか。何か
根拠になる手本はあったのか。「青の時代」と言われる20代のピカソは何を
考えて絵を描いていたのだろうか。疑問だらけの気持ちで 館内を回りました。
暗いイメージは14歳の時、最愛の妹を亡くしたことと、親の失職・転居が原因だそうです。
ピカソのキュビスムの基になるのは アフリカの彫刻で、岡本太郎が縄文時代の土偶から「太陽の塔」を発想したことと似ています。

「裸の少年」1906年
この2作は手許に置いていた作品
日展は 書壇を退いてからも、ほぼ毎年観ています。
どうしても 50年前の日展のイメージが強いので、物足りなさを感じます。
毎年、同じような図柄、類似した作風が多いため 日展の評価を低くめている
ようです。もっと大胆な表現は出来ないのでしょうか。
しかし、大家でありながら「天璋院(篤姫)の像」の大作を出品した中村晋也
先生や書部門では 新入選の近藤星崖さん(篆書)や野原祥光さん(隷書)の
作品が光っていました。
2016年2月4日(木)立春 旧暦12月26日 NO55
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