大好きだった従兄の T が死んだ。83歳と4ケ月。私は幼少期、理由はわからないが 伯父さんの家で育った。私専用の箱膳まであった。8人の従兄弟の中で大事にされて育ったのだ。優しい姉さんもいたが、とりわけ、T は私を可愛がってくれた。それは終生続き、齢をとって叱ってくれる人が いなくなると、困るので 私の怖い人の役目を引き受けてくれたのである。つまり、私が傲慢にならぬよう苦言を呈してくれた。
齢は八つ離れているから、五六歳の頃から 金魚の糞のように付きまとい、喧嘩の強い兄ちゃんが誇らしかった。村人は鈴鹿市にホンダ技研が進出して来るまで
百姓と炭焼きが正業で、10キロ離れた県境まで往復5時間を 盆と正月以外、
毎日 重い荷物を持って歩いて通った。後年「炭焼き仕事の事を考えたら、会社の仕事は 遊んでいるようなものだ。こんな高給を貰っていいのだろうか」と述懐したのを 聞いたことがある。
T は25年前に腎臓がんの大手術をし、4年前にまた、敗血症で危篤。亡くなる半月前まで 入退院を繰り返す合間に畑仕事をしたり、電動車で散歩していた。並みの生命力ではなかった。
T は裏表なく良く働いた。告別式で喪主を勤めた長男は「父は子煩悩でした。5人の孫に対しても孫煩悩でした」と言う通り、車椅子にのって、孫娘のピアノ発表会に上京したり、孫息子の大学を見学するため神戸に行ったり その行動力に驚いた。最晩年の2年間は 奥さんに辛く当たったが、8人の兄弟の4番目と言うのは親の愛情が届かない位置、お母さんの代わりを奥さんに 求めていたのだろうか。「蓋棺事定」(棺を蓋いて事 定まる)と言う言葉があるが、T が何を残したかは お孫さんたちを見たら良くわかる。
今日8月7日は初盆の入り。朝から多くの村人が 満中陰を迎えた仏さまを拝みに各家を廻る。その中にこんなことを言う人がいた。「人間は人様のために働く幸せをを感ずる動物だと 科学が証明している」と。私と同類の人間がいたことに喜び、心強く思った。
昨今は 地域の絆が薄れてきていると、従兄弟の葬儀を通して感じている。煩わしいことを葬祭業者に委ねてしまうのだ。料金さえ払えば「死化粧」も「納棺」も市役所への「死亡届」も代行するシステムが出来上がっている。
昔はこれら総て村人が行った。祭壇の組み立ても料理も親戚・同行が全部した。
協力しあうのである。そのため団結出来た。人の為に働く幸せを村人は 等しく共有していたのである。煩わしさは負のイメージでなく、煩わしさを媒体として愛情が生まれ、絆が深まっていたのである。
2016年8月7日(日) 立秋 旧暦 7月5日 NO67
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