會津八一は新聞の活字から書を学んだ

会津八一(1881~1956)は

私の好きな書人です。

書は専門でなく、早稲田大学で英語を教え、宮中歌会始で召人を勤めた程の歌人でもありました。

声が大きくエネルギッシュな巨漢だったようです。

 

西川寧先生が因襲的な書壇に 風穴を開けようと、会津八一を 日展の審査員に推薦しましたが、尾上柴舟氏の強烈な反対で、「幻の審査員」に終わりました。その時、出品しようと思っていた作品が掲出の「林下十年の夢 湖辺一笑新た」(1948作)です。のびやかで明るく とらわれがない。

もし、会津八一が日展の審査員を勤めていたら、書壇の現状はだいぶ変わっていたでしょう。

会津八一は 誰もが崇める書聖を「王羲之の書は不明瞭で陰鬱」と評しました。

「人真似をしてどうする」「文字は明瞭が第一、それを基礎に芸術をする」と確固とした感性と信念を持っていましたから、そう言わせたのでしょう。

手本を写して書く小学校の習字は苦痛で、大学在学中に 自分の悪筆を直そうと

新聞の活字を基に 独自の手法を見つけ、自分のスタイルを確立させました。

私はよくロゴを頼まれるのですが、困るのは古典から習った書体(習字的書体)が顔を出すことです。看板や商標には 習字的書体は似合わないし、何故か敬遠されます。

明朝体活字から編み出した会津八一の方法とアイデアを基本にすると、自分の感性と工夫が自由に注入できるから、何処にもない作品が生まれるわけです。

  2016年9月7日(水) 白露  旧暦 8月7日  NO69

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コメント: 1
  • #1

    ひろみ (月曜日, 12 9月 2016 23:25)

    会津八一が日展の審査員だったら!