
私が齋藤史と言う歌人を知ったのは
2002年4月26日に亡くなった時の
新聞記事でした。享年94歳。
「濁流だ濁流だと叫び流れゆく 末は
泥土か夜明けか知らぬ」等何首かの歌を
読んで、「なんと歯切れのいい歌か」と
感じたし、新聞の写真(19歳)を見て
聡明な美人だ!と思いました。

「齋藤史歌文集」によると、お父さんは
陸軍師団の参謀長 齋藤 瀏(りゅう)。
軍人でありながら佐々木信綱門下の歌人。
自宅には多くの文人が 訪ねて来ました。
北原白秋はバーで飲んだ後、齋藤家の玄関で「電報ですよ」とたたき起こし、家族の前で「線香花火踊り」や「おっとせい踊り」を熱演する程の親しさでした。
又、若山牧水は 史の歌の才を知って
史17歳の時、「歌をやらないというのは
いかんな」と歌の道を勧めました。
一流の人々に囲まれて 成長しましたが、重くて悲しい事件にも遭遇したのです。それは、幼馴染みの栗原安秀や坂井直が 2・26事件に関与、刑死した
ことです。父の瀏も5年の刑を受けています。
このわだかまりはズーと続いて、平成9年(1997)歌会始の召人として招かれ、「始めて胸のしこりがすっかり晴れました」と 岡野弘彦氏に言いました。
2・26事件の時代背景は 森谷司朗監督の映画「動乱」(高倉健・吉永小百合主演)に詳しく描かれています。
上の屏風は 2003年に書いた作品。前年に齋藤史の歌に接し、作者の意志が
隅々まで 沁み込むような作品に魅せられ、書いたものです。
「みどりの斑点がかくも滲んで来る もはや春だと言わねばならぬ」(春)
「秋の水を器に充たし 挿す花の何もあらぬがむしろよろしき」(秋)
2016年11月22日(火) 小雪 旧暦 10月23日 NO74
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ひろみ (土曜日, 26 11月 2016 21:52)
斎藤 史さん。知りませんでした。
歌集探してみます。ありがとうございました。