
これだけ纏まった「河井寛次郎」(陶芸家)の作品を見たのは初めてです。三重県菰野の「パラミタ」(2月25日まで)で鑑賞しました。
寛次郎(1890~1966)は柳宗悦や濱田庄司と共に民芸運動を起こしました。民芸運動は 誰が作ったかわからぬ無印の中にでも本当の美があり、
自然淘汰されて本物が残ると言う考えですから、寛次郎40歳ぐらいから 自分の作品に銘を入れませんでした。文化勲章の打診を受けて断ったことも
その理由が解るような気がします。
京都五条に「河井寛次郎記念館」があります。建物の美しさと落ち着いた佇まいが好きで何度も訪れました。五代清水六兵衛の登り窯を譲り受け そこに住んで作陶したのです。
若かった棟方志功が、その家で仲間たちに混ざって「碧巌録」の読書会に参加したり、百貨店で行われた展示会で 気に入った作品を寛次郎に談判して、月賦で求めたと言う話が好きです。
私が焼き物に興味を持ったのは 栗原先生宅の応接間。書生時代、食事やおやつの時間、部屋に陳列されている李朝などの陶器を見ながらのひとときは 至福の時間でした。陶器の知識が何もないのに「門前の小僧習わぬ経を読む」の例えの如く、陶器の良し悪しが解るようになりました。
昨年末、亡くなられた仙嶽先生は「書をやる者 絵画・仏像・陶器ら あらゆる美が解らなければならない」と教えて下さいました。
私は倉敷の「大原美術館」や備前焼・砥部焼・益子焼の里などを訪れたり、阪急電鉄沿線の「白鶴」「逸翁」「香雪」「滴水」美術館や「東洋陶磁美術館」(安宅コレクションがそのまま収蔵された大阪中の島の美術館)を見て回り、陶器雑学の習得に努めました。おかげで始めは点と点だったのが、線になり、面になり、今の齢になって書作の役に立っています。
最近、陶芸ブームが一段落し、プロの陶芸家が作る作品が見直されているように思います。
書でも言えることですが、長年その道の本道を 歩いてきた人の仕事には深みがあります。
2018年2月19日(月) 雨水 旧暦 1月4日 NO104
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