
現在の日本では 政界や官界の卑しい振る舞いに 目を覆いたくなりますが、野球の大谷翔平選手やマラソンの川内優輝選手や将棋の藤井聡太六段ら 若者たちの活躍がまぶしい。
4月15日に行われたWBA世界ミドル級の初防衛に成功した村田諒太選手が「哲学書」を愛読していると知って驚きました。別に哲学と言っても 皆それぞれが自分の考えを深く
追求することが「哲学している」ことになるのですが、一流の人達は立派な哲学、言い換えれば理論を持っています。
私が「書道哲学」と言える「理論書」に出会ったのは 森田子龍が1951年に創刊した「墨美」です。
1970年代になってから購読しましたが、1981年301号で終刊するまで
愛読しました。どれだけ大きな影響を受けたのか、各号に特集された次のような先人の書を創作に取り入れ、血肉にさせて貰ったことでもわかります。
仙厓 三輪田米山 良寛 池大雅 富岡鉄斎 河東碧梧桐 大燈国師 道元 慈雲尊者 本阿弥光悦 遺偈 種田山頭火 空海 明恵上人 高村光太郎 中林梧竹などは日本人が書いた書として 表現の幅を広げてくれるのに役立ちました。
森田子龍(本名清・1912年~1998年)は上田桑鳩に師事しましたが、1952年40歳の時、井上有一ら5人の仲間と「墨人会」を創立。この時代はまだ書の世界が未熟で 前年に創刊した「墨美」と共に「書の理論」を打ち立てるのに一役買ったようです。
この頃、井上有一が書いた「書の解放」を読むと、5人の若者たちの熱気が伝わって来るようです。「断じて、書道界の争いの中には入らない」大きな筆を5人が特別注文して「腹の底から爆発させるように全身心を打ち込んで力いっぱい書く」「文字を書くことを場所として」「いのちの躍動が外に躍り出て形を結ぶ」。
言葉だけでなく、前衛書と抽象絵画の国際展で「書を世界的規模に拡大する」ことに成功。1950年代は 日本の書が世界に躍り出た時代でもありました。
ずっと後になりますが、その息吹を 私達若い者が「墨美」を通して享受したのです。
2018年4月20日(金) 穀雨 旧暦 3月5日 NO108
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