この10年間、いつも作品を書く前に 池大雅を臨書しています。若いころは余り好きではありませんでしたが、色々な古典や多様な作品に接する内、大雅の豊かで奥深い情感に魅せられるようになりました。調子はずれの中にある美しさが揮毫に好影響を与えるのでしょうか。
「その魅力はなんだろう?」との課題をもって会場を見て回りました。絵は40代以降の作に見応えがありましたが、書は 私が期待していた作品が並んでいませんでした。帰宅してから購入した図録と書架の資料を突き合わせて、池大雅の奥深さを再認識したのです。

大雅の幼少時は 決して恵まれた環境ではありませんでした。4歳で父を亡くし、母と二人暮らしを始めました。5歳か6歳の時から書を学び、神童として
早くから世に知れ渡り、宇治万福寺12世の杲堂元昶(こうどうげんしょう)らの前で揮毫して激賞されたのが7歳。母との二人の生活を支えるために始めた
扇子店で絵を描き始めたのが15歳。恵まれた天賦の才を暮らしのために使ったのが、大雅芸術の出発点と言うのも面白い話です。人にも恵まれました。心の友
高芙蓉・韓天寿(日本人)とは生涯を通して共に芸術活動に新風を起こしたし、
29歳で会った白隠禅師からは 脱俗的で奇怪な影響を受けたと言うのも 頷けます。それを犬養木堂のように「大雅出でて日本の書は崩れた」と言う人もいたのですが、欧陽詢・顔真卿・文徴明・黄庭堅・米芾・董其昌をしっかり学び、整正された造形から 破格の美を生み出しました。このような例は「相田みつを」にも見られます。
2018年5月21日(月)小満 旧暦 4月7日 NO110
コメントをお書きください
みどり (火曜日, 03 11月 2020 10:52)
こんにちは。池大雅を検索してたどりつきました。私のブログでこちらのブログを紹介させていただきました、有難うございます。https://ameblo.jp/yorinoto