
古谷蒼韻先生が8月25日に亡くなられました。享年94歳。読売新聞の記者がアトリエを訪ねたときの様子が、紹介されていましたが「最近の書道界に若い人の書作の新しい動きがない」ことを憂えておられたと言う。頭を叩かれた思いでした。
先生が若い頃から 研究されて来た古典を辿って見ると それは当然の憂い事で、生涯をかけて書に打ち込んだ人らしい不満だと思いました。現在、確かに良い書を書く関心よりも、肩書や金儲けに興味を持つ時世なのです。
宇治平等院近くのまだ自然の残るアトリエで、村上華岳の仏画を傍らに掛け ベートーベンを聞きながら筆を持つ。この風景を想像するだけで、心の有り様を大切にされた書家だと思いました。
古谷蒼韻先生に始めてお目にかかったのは 1962年、長興会主催の園遊会の会場(大阪天満の太閤園)でした。書を習い始めた22歳の私には 神のような存在でしたから、仰ぎ見るばかり。園遊会の「お楽しみ券」で先生の色紙が当たりました。周りが余りにも羨ましがるものだから、貴重なものだと気づいて宝にしています。
それから後、京都建仁寺における日展や読売書法展の合宿の場で、短いコメントでご教示下さる。それがピンポイントで適切に指摘して下さる。無駄がないのです。「王羲之」「木簡」「霊山道隠」「良寛」「懐素」「黄山谷」など幅広く、深く学んでおられたからこそです。
「木簡はまだ市民権を得ていない、王羲之を混入したらどうだ」「手島友卿先生は技巧を凝らして、技巧を見せずと言われた」「書は密室の芸術だ」とか、今も耳に残る言葉が多くあります。
最初の師 中野越南先生を終始尊敬し、「司馬遼太郎」「武満徹」「芭蕉」「齋藤茂吉」「村上華岳」など書以外のジャンルの人からも創作のエキスを得ておられる。私は 数々の先生からの言葉を「良い書を書くことは正しく生きること」と要約し 理解して、生きて行きたいと思っています。
2018年9月8日(土) 白露 旧暦 7月29日 NO117
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