
昨日21日は地元保育園に出向いて 五歳児の「筆遊び」を手伝いしました。俳句を「ささゆり会」(上田佳久子代表)の指導で詠み、それを私たち書のスタッフが指導します。今年で5回目ですから慣れているはずなのですが、園児も大人も真剣勝負です。「さつまいもおらううたんのてににてた」「かれくさべっとそらをみてた」どれも見たまま感じたまゝを言葉にしています。
園児の俳句を詠んでいて、ふと種田山頭火(1882~1940)の句を思い出しました。
山頭火は山口県防府市の大地主の子に生まれ、早稲田大学文学科に入学したのですが、病気療養のため退学、故郷の地で家庭を持つのですが、何をやっても失敗、離婚。行乞流転の生活をします。「地主の息子が乞食のような真似をして」と故郷の目は冷たかった。しかし、そんな中で詠んだ句。「飲みたい水が音たててゐた」「酔うてこほろぎといっしょに寝てゐる」「分け入っても分け入っても青い山」「安か安か寒か寒か雪雪」「うらうらほろほろ花がちる」「空へ若竹のなやみなし」「うれしいこともかなしいことも草しげる」平明でわかりやすい句です。

私は40年前、作品も書けず、極貧の時「いただいて足りて一人の箸をおく」の句に接した時、理由はわかりませんが、身体の底から身震いして号泣したことがあります。その後そのような体験はありませんが「琴線に触れる」とはこういうことだと知りました。
人生九十年、百年と言われる今、世俗の垢にまみれて純真な心を失ってしまうと、迷い・不安・悩みがついてまわります。そんな時、真っ白な心を持っていた子供時代の原点に立ち返ることで、迷路から抜け出すことが出来ます。
五歳の子が自ら書いた作品は その人の人生を助けるに違いありません。
2018年11月22日(木) 小雪 旧暦 10月15日 NO122
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