千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さん(小4・10歳)が父親に虐待されて死亡したニュースはもって行きようのない憤りと悲しみに襲われました。SOSを発信しているのに、児童相談所や教育委員会の対応は プロフェッショナルの資格があるかどうか疑問です。
私の住む亀山市の「子ども支援室」では 10年前から虐待から子どもを救おうと、独自の取り組みがなされています。それは「児童相談所」「子ども支援室」「警察」が連携して問題家庭を訪問する。児童相談所や子ども支援室の人は室内に入れなくても警察官は入れます。このシステムを作ったのは臨床心理士「志村浩二」さん(現在・浜松学院大学短期大学部准教授)です。このシステムと精神は後任の担当者に引き継がれて立派に機能しています。
虐待は何故減らないのか? 「しつけ」と言い訳して、弱い立場の子供に暴力を振るう。加害者の大人が 人間として成長していないこともありますが、法律を作る国会でも「懲戒権との関係整理が必要・・・」と立法化を迷走させています。
この事件が起きて真っ先に思い出したのが「子ども権利条約」です。これを教えて下さったのが「江口八重子さん」(2000年没)です。20年以上前のある日の朝刊を広げたら、少年の肩を揉む江口さんの写真が目に飛び込んできました。そこには「子どもが休息し、自由時間を持ち、存分に遊んで人間らしく文化的な生活をする権利(31条)を認めて行こう」と意見広告の記事が載っていました。子供の人権について考えたことが無かった私は 目が開かれた思い。江口さんは権利条約の精神を裏付けるように 当市に「子ども劇場」の創設や図書館の司書の設置に 精力的に尽力されていました。私に何が出来るか?と考えた事が地元小学校や保育園への教育ボランティア活動に繋がるのです。
「子ども権利条約」はポーランド人のコルチャックさん(1878~1942)が第二次世界大戦でナチス・ドイツによって迫害された戦災孤児の救済と教育に尽くし、自らも収容所内で命を絶ちました。ポーランド政府は コルチャックの「子どもの権利条約」の原案を国連に提出。1989年11月20日国連総会で採択され、我が日本は5年後の1994年5月22日に批准しました。
2019年2月19日(火)雨水 旧暦 1月15日 NO128
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