新元号「令和」

4月1日新元号が発表されました。多くの国民がお祭り騒ぎのように「令和」に飛びつき、その余熱は5日経った今も治まりません。私もその一人です。

この歴史的記念にと 様々な作品の試作をし、頼まれて揮毫もしました。

令和」の出典は世界に誇る日本の文学「万葉集」

奈良時代の天平2年(730年)福岡の大宰府で催された梅見の宴で詠まれた「梅花の歌三十二首」の詩集の序文「初春月 気淑く風らぎ・・・・」の中の「令」と「和」を組み合わせたものです。

1300年も前の梅見の宴を 現在の桜見の宴と重ねて想像すると、優雅で気品高く、ほのぼのとしたものを感じます。

私達が書の勉強で 馴染みが深い王羲之の「蘭亭の序」は永和9年(353年)中国の山陰の蘭亭に 名士41人を招いて催されましたが、その「曲水の宴」が大宰府の梅見の宴のモデルだそうです。

テレビや新聞で「令」は「命令」を想起させると言う人がいましたが、甲骨文の研究で 漢字の本場中国にも認められた白川静博士の著書「字通」「字統」の世界から「令和」を俯瞰して見ると、別の世界が見えてきます。自然と共に生きる日本民族の素晴らしさが伝わってきます。「令」は跪いて神意を承ける象(かたち)、権力者からの命令とは異なり、神からの言葉です。「和」の別字「禾龠」は農耕に関し、その儀礼に龠(ふえ)を用いるもの(字統)とあり、田植えを神事として執り行い、笛太鼓で神々に豊作を祈る風景は、今も地方に残っています。文字の原点は神の意志を人間に伝える記号なのです。

 

尊敬する山内 観先生(1928~2012)は「書のルーツを辿っていくとな、効き目の書に行き着くのや。印刷技術のなかった昔、神社仏閣の御札は全部手書き、家の神棚に供えて祈ると効き目があった。だから、書を書く者は心して

精進せなあかんのや」。30年も前の話です。

 

2019年(平成31年)4月5日(金)清明 旧暦 3月1日 NO131