「平成時代」から「令和時代」へ

4月17日から19日、天皇皇后両陛下が 伊勢神宮に来られ、沿道には多くの人々が、心から歓迎している様子がテレビに映し出されていました。

60年前、ご結婚の報告に伊勢神宮にお出でになった時は、亀山駅で お召列車の機関車を付け替える作業をするのですが、2・30分でしょうか 停車中の車内の両殿下を 市民達がホームに並んで歓迎するのです。それが昭和34年(1959年)4月17日(金)のことでした。

私はその時、高校生。ホームの最前列でお迎えしましたが、妃殿下の気品ある

美しさに圧倒されました。理由はわかりませんが、日本の国はこの方がおられる以上、大丈夫だと思ったものです。

民間から皇室に嫁がれて、我々には想像もつかないご苦労をされたと思います。メディアに出ない日は無いぐらい 時々の表情が国民の前に映し出されましたが、いつも静かでぶれないお姿を拝見して、心安らかになったのは私だけでないと思います。

文芸春秋5月号の「天皇皇后両陛下123人の証言」の中で、元朝日新聞記者の佐伯晋さんが「度重なる(プロポーズの)長い電話のお話の間、結婚後も自分(殿下)は皇室の公的責任を優先し、私事はそれに次ぐ。とはっきり仰せだったことに その責任感、義務感の強さに美智子さまは心打たれ、結婚を決意された」と書いています。

災害を受けられた人達を見舞われる時も 障害のある方に接する時も 奉仕作業に参加した人にも 誠心誠意、慈愛に満ちた心で、お言葉をかけられています。それは外国訪問の際も同じで、そのお人柄は厳しい関係にあった国の人を和ませ関係改善に力を与えたこともありました。

1300年前、天皇中心の統一国家が出来ましたが、権威と権力をわけて統治し、他の国のように内紛がない国を作り上げた日本人の智恵は、誇るべく国民性だと思います。そのお蔭で敗戦後の復興もスムーズに 成し遂げられたのですから、ありがたいことです。

 

2019年(平成31年)4月20日(土)穀雨 旧暦3月16日 NO132