ヤマトタケル(能褒野神社)と古事記

令和時代に入って テレビ・新聞・書籍を通して、色々な歴史情報がもたらされました。私が関心を持ったのはこの国の成り立ちです。友人とこの問題について話し合いました。

「神武天皇は伝説の天皇だろ?」「古事記は神話だから史実と違う」これまで深く考えて来なかった問題ばかりです。

古事記も日本書紀も BC97年の崇神天皇を第一代天皇とし、垂仁・景行・政務天皇と続きます。現代では大正時代末期に確定した天皇126代・124人を基準としているようです。

 

日本最古の歴史書「古事記」は712年に完成しましたが、8年後に正史の「日本書紀」が出来た為、歴史の谷に埋もれてしまいました。それを掘り出したのが江戸時代の国学者・本居宣長(三重県松阪市)です。35年かけて編纂した注釈書ですが、本居宣長がいなければ「古事記」は消えていました。

古事記が出た頃の時代背景を想像すると面白いです。当時の大和の国は 各地に豪族が並び立ち、それぞれが都合の良い神話を持っていました。外敵に備える為には 大和の国を一本化しなければならない。そのシンボルが「古事記」だった。文字や歴史書のない民族は属国になる恐れがありました。隣の中国は隋から唐に代わった時期で国力が強かった。

当時の皇位継承は①兄弟内・世代間継承②30歳以上③執政経験がある事の3条件を満たす必要がありましたが、持統天皇(女帝)の孫の軽皇子(15歳・後の文武天皇)に継承するには 必ずしもこの3条件を満たさなくても良いと 言う仕組みを作る必要がありました。それがアマテラスの「天孫降臨」です。地上界に遣わす順序を 孫の二二ギノ命に継承した神話を作り、合致させたのです。

 

「古事記」は上・中・下巻から成り、上巻には天照大御神誕生や岩屋戸に隠れた話が出て来ます。中巻には亀山市ゆかりの「ヤマトタケル」が出て来ます。父の景行天皇(12代)は、九州・東国・出雲の征伐の勅命を矢継ぎ早に出し、ヤマトタケルは「父上は私が可愛くないのでしょうか」と伊勢神宮にいる叔母に訴えます。その時、あのヤマタノオロチから出てきたと言う「草薙ぎの剣」を授けて励ましますが、この剣の威力は絶大で 遠征先の地で 度々の危機を脱します。

しかし、長い遠征の疲れで病になり、亀山市田村町の「能褒野」で亡くなりました。終焉の地は諸説ありましたが、1879年(明治12年)に「能褒塚」と定め、隣地に1895年(明治28年)能褒野神社を創設しました。

三種の神器の一つ「草薙ぎの剣」にまつわる話が こんな身近にあるのは嬉しいことです。

 

2019年(令和元年)5月21日(火)小満 旧暦4月17日 NO134