国宝「曜変天目」から見えて来る日本文化

宋時代(960~1279)に中国福建省建窯で作られた「曜変天目茶碗」が現在、日本の国宝として三碗あります。(水戸天目、稲葉天目、龍光院)

この美しい斑紋と光彩を放つ茶碗が、本国中国ではなくて、日本にあるのが不思議でした。

その謎を解いてくれたのが4月1日放映のNHK「歴史ヒストリア」です。4つ目の曜変天目が出てきて、本物かどうか調査する過程で、沖縄県立芸術大学の森達也教授が「中国でお茶の飲み方が大きく変わったことが原因。粉末のお茶を碗に入れて攪拌して飲んでいた飲み方から、茶葉を煮たり お湯をかけて飲む形式になったため、不要になった茶碗を日本に輸出した」。その中に「曜変天目」が混じっていたのです。それが時の権力者 足利将軍、信長、秀吉、家康の手にわたり、重要な儀式に用いられて、「茶道」と言う文化として定着しました。

中国から渡って来て、根付いた文化はそれだけではありません。

仏教も平安時代の「真言密教」は日本人の空海に 唐長安青龍寺の恵果和尚が805年に灌頂を授け、「曹洞宗」の開祖道元も1225年天童如浄より印可を受けています。

そのいずれもが 並み居る中国僧でなく、若い日本僧に

しかも短期間の内に大切な奥義を伝えたと言うのは 中国の高僧が自分たちが培ってきた教義は 日本でこそ花開くと、日本の青年僧を見て直感したに違いありません。

その受け皿は何かと言うと「日本の美しい自然」だと思うのです。

日本の四季のある自然が、日本人の精神性を養い、独特の日本文化を作り上げ、学問芸術にも恩恵を与えて来ました。

私たちの「書道」も精神性を重んじ、本場中国の「書法」とは一線を画した芸術として存在しています。

 2020年(令和2年)6月21日(日)夏至 旧暦5月1日 NO159