杜甫の「国破れて山河あり」

襖に書かれた漢詩の解読を頼まれて、盛唐の王維や李白や杜甫等の詩人の生きざまに触れることが出来ました。

今まで私は唐の詩人を 理解していなかったと反省しています。例えば杜甫の詩

「春望」は拘禁されていた757年の作ですが、どんな時にどんな気持ちで詠んだのか知りませんでした。

玄宗皇帝(712~756在位)が楊貴妃に夢中になって国政を顧みず、安禄山の乱(756)を招き、国土は四分五裂になって崩壊しました。その頃の長安の都の春を眺めて詠んだと言われます。

「国破れて山河あり、城春にして草木深し。

時に感じて花にも涙をそそぎ、別れを恨んで鳥にも心を驚かす。

烽火(のろし)は三か月経っても止まず、家書(家からの手紙)万金に抵(あた)る。

白頭 掻けば掻くほど更に短くなり、揮て簪に勝えざらんと欲す」

詩聖と言われる杜甫は 11歳年上の李白(詩仙)と交流があり、お互い認め合うほどの仲、共に中国文学史上最高の詩人です。

しかし、杜甫59年の人生は不遇でした。47歳から数年間は穏やかな生活を送りましたが、そのあとの人生は、家族を連れて流浪の旅でした。どんぐりや山芋を食べて飢えを凌いだり、湘江の舟の中で炎熱に苦しんだり、洪水にあって五日間何も食べずに その後客死。この有様は まるで、現代のシリア国民が独裁者の悪政に国を追われて難民になっていることと重なります。

 

私が20代の頃、先輩に「日本を代表する古典は?」と尋ねましたら、「芭蕉の奥の細道」と教えてくれました。その芭蕉が詠んだ「夏草や兵どもが夢のあと」の前文を「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と杜甫の「春望」から

援用しています。蕪村や正岡子規も影響を受けているようです。

 

この作品は「平復帖」を参考に創作しました。

 

 2020年(令和2年)9月7日(月)白露 旧暦7月20日 NO164