
3月4日篠田桃紅さんの訃報が新聞に載りました。
2019年1月3日に放映された「日々、新たなり。篠田
桃紅105歳」を視て桃紅さんを偲んでいます。
1913年(大正2年)旧満州生まれ、生涯独身。
23歳、書道家として出発しましたが、人の作った文学を写す「書道」をやめて、自分で作ったカタチ線を生み出す芸術を作ろうと 単身渡米、43歳の時でした。

最初は映画「瀬戸内少年野球団」を監督した篠田正浩さんの従姉として知っていましたが、名だたる美術家として認識するのは、後になってからです。
しかし、桃紅さんについての話題は書仲間内では余り出なくて、別格扱いでした。と言うより避けていたのかも知れません。
私がやっていた日展など公募展は 美の追求よりも 中国古典の真似事で、何の疑問も持たず、漢詩や漢語を書いていました。書の鍛錬の先に目指すべき「書の美」があることを 篠田桃紅さんは示してくれたのです。
書道と言う美術の山が「習字」から「篠田桃紅」まであるとして、私自身は五合目にも達していない。頂上を目指そうにも感性も体力も寿命もない。
しかし、桃紅さんの数々の示唆には耳を傾けています。
[齢をとることはマイナスばかりではない。老いなければ解らないことを貪欲に利用したい。]
百歳になってから描いた作品の中に「二河百道」がありますが、[氷の河と火の河の間に一筋の細い道がある。そこを歩いていく。それが人生です。]
停滞している書道界には 今こそ篠田桃紅さんが必要ではないでしょうか。合掌
2021年(令和3年)3月5日(金)啓蟄 旧暦1月22日 NO176
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