松井組の古文書

松井姓を同じくする隣組は11軒あります。一年任期で隣組長を担当し、会費の徴収や広報の配達が主な仕事です。私は今年の担当でしたが、後少しで交代です。

持ち回る貴重品の内、一世紀にわたる金銭の記録簿がある。この「松井組の古文書」の扱いをどうするかは 長年の課題でしたが、皆と相談して亀山市歴史博物館に預かってもらう事になりました。

今まで何の関心もなかったのですが、先日礒田道史原作の「武士の家計簿」を見て、古文書の重要性を認識しました。金沢藩の御算用者(ごさんようもの)を勤める猪山家の古文書を見つけて、研究論文にするか、小説にするか考えた末「武士の家計簿」と言う本を出しました。平成13年(2001)のことです。

それが映画化され、幕末から明治、大正にかけて金銭出納だけでなく、社会情勢まで解るようになったのですが、一片の古文書を読み解いて、ここまで私達にも解るように見せてくれたのですから、古文書は面白い。

松井組の古文書も 博物館に引き渡す前に調べて見たら、色々なことがわかりました。大正9年(1920)9月9日から記帳が始まって、平成21年(2009)に終了しているのですが、百年前の松井家の当主(私の祖父の時代)が集まって金銭を集め、お金を必要とする人に一割の利子で貸す頼母子講の記録です。

ところが昭和33年(1958)頃になると、貯まった金で旅行するカタチに変わっています。

特筆すべきは 戦時下の昭和20年前後の時期でさえ、一年の間に3回も集まって会合しています。長閑な田舎の風景は コロナ禍の現在も同じことで、都会の人のように危険を感じないのは 不便な地の利得かも知れない。

私が父の名代で参加したのが、1970年頃の元旦の日。大阪から帰省してその会合に出て、異文化を楽しんでいました。宿を勤める家の人は 一汁一菜の粗食と酒一升と決められていたのにだんだんと派手になっていく。何処かの家で元に戻すのですが、また少しずつ豪華になる。そのような面倒なことが廃止の一因になったと思うのですが、地域の結びつきが薄れていくのは淋しい事です。

 

 2021年(令和3年)12月7日(火)大雪 旧暦11月4日 NO194