夜間高校の思い出

今年母校の亀山高校は 創立百周年を迎えます。私は1960年(昭和35年)3月第9回定時制を卒業しました。亀山市歴史博物館が「百周年記念」を開催するにあたって、夜間高校の実状を聞きたいと言われるので、同級生を誘って博物館に集まりました。

アルバムを広げて、60年も前の話を 昨日の出来事のように語り合うのです。

定時制高校は学力こそ全日制高校に及びませんが、働きながら学ぶわけですから忍耐、根性、思索など生きる原点の「人間力」はここから生まれたように思います。面白いのは 書家を生業としている私の書道の成績は「3の上」でした。

課外活動は運動クラブもあったし、生徒会活動も活発でした。喧々諤々の議論をした論敵も既に鬼籍に入りました。

広島大学を出たばかりの担任の小橋孝治先生は日本史の先生ですが、放課後ロシア民謡を教えてくれて、今でも口ずさむことが出来ます。

また、演劇の好きな仲間が集まって練習し、謝恩会で発表したのも楽しい思い出です。

一年下に賢美備えた女の子がいました。その子の名前が偶然話題に出て、ラブレターを書いた当人だと知り、夜の学校に咲いたラブロマンスを偲びました。

又、仲の良かった級友が単身ブラジルに渡航、神戸港から見送ったことを昨日のことのように思い出します。

片道10キロの自転車通学は 雨の日も雪の日も続きました。二年間は皆出席。

月夜の晩は 発電灯を外して大きな声で歌いながら帰ったものです。

定時制高校には 二種の先生が存在していると思います。教科担当の先生と年上の同級生です。彼等は世間の厳しさを 折に触れ、教えてくれました。

山田洋次監督の映画「学校」は 私達が体験してきた生の雰囲気が良く出ています。

夜間学校の環境は厳しく最悪なのに 楽しくて面白かった。何故だろうと考えると それは何にもとらわれることなく 自分らしさを存分に発揮できた4年間だったからだろうと思います。

 

 2022年(令和4年)2月3日(木)立春 旧暦12月22日 NO198