追悼 佐野益子先生

中学校の担任・佐野益子先生が8月26日逝去されました。享年102歳8ケ月。先生との出会いから70年です。私にとって先生は特別の人でした。母親と同年齢と言う事もあって、母と先生は相談をしながら、私をコントロールする。

よく言えば曲がった道に行かないように、悪く言えば監視下に置かれて育ったような気がします。

クラスメートや私の兄弟達に訃報を知らせる中で、私の知らなかったことが多く解かりました。70年間多くを語り合いましたが、先生のプライベートな事は話しませんでした。戦争未亡人で男の子(故人)がいた事。実家に戻ってから教職の免許を取った事。残してきた子供への愛情を教え子に還元するかのように教師の仕事に打ち込んだ事。

私の家は貧乏で進学する余裕はなかったのですが、特別奨学金を貰う方法や月謝の要らない専門学校への進学、私の場合働きながら学ぶ定時制高校への進学と言うように、平凡な親では気が付かないような知恵を授けて下さいました。他の生徒にも同じように世話をやきましたが、敬遠する級友もいましたから、先生に対する好悪の感情は分かれました。しかし、私は先生から貪欲に教養・知識を吸収したように思います。

20代の国鉄時代には南座歌舞伎の顔見世興行と京都の寺院巡りを恒例の行事にして続けたし、書道の世界に入ってからは、美術全般の意見を求めました。

「書の世界だけに留まっていてはいけない。幅広く美の世界を見る目を持ちなさい」

「貴方のやっている書が世の中に役に立っていますか?」

「墨跡が何百年経っても残っているのは何故だと思いますか?」

理論的に説諭するのではない、京都の庭園を見ながら、寺の宝物を見ながらさりげなく言われる。  (上の写真は先生35歳頃)

先生は 私の書道のプロ入りには大反対でした。わざわざ大阪吹田の師匠の家に出向き「松井を引き留めて下さい」と懇願された程です。しかし、決心が固いと知るやそれからは応援に回って下さり、田舎に移住してからは度々個展をしましたが、物心両面で支えて頂きました。その代わり批評も手厳しかった。

 

晩年の7年間は 施設に入所されて、外からは何不自由もないように見えましたが、内心は淋しかったと思います。級友と訪ねて昔の話をすると、嬉しそうに話しに加わっておられました。

ご親族の話では 枯れ木が崩れる様に 安らかなご最後だったそうです。先生から受けた御恩は数え切れませんが、表現者として書の形で世に残すことが師恩に

応えることだと思います。どうか安らかにお眠り下さい。 合掌

 

 2022年(令和4年)9月8日(木)白露 旧暦8月13日 NO211