
19日のイギリスのエリザベス女王の国葬は全世界に放映され、自国だけでなく外国の人々も女王の70年に及ぶ君臨と人柄に敬意を示しました。
私もテレビで視ましたが、厳かな中に粛然とした儀式に心洗われた感じです。
今、日本では国葬問題で 紛糾していますが、国民の世論の動向を見誤った判断とその決め方が原因です。
岸田首相の周りに知恵者はいなかったのでしょうか。悶々としてその答えを探していたら「プライムニュース」に出演された伊吹文明氏(1938年生まれ・元衆院議長)が1960年の「浅沼稲次郎社会党委員長の追悼演説」を例に出して当時の政治情勢を説明されていましたが、伊吹氏のような常識人に何故相談しなかったのか。
浅沼さんは1960年10月12日、日比谷公会堂で演説中、山口二矢に刺殺され、10月18日、第36回衆議院議事堂で 池田勇人首相が追悼演説を行いました。その内容の一部が上に掲げる文書ですが、伝わってくる景色から主義主張の異なる二人の政治家が互いを尊敬し、その立場を認め、より良い日本を築いて行こうと言う志が見えてきます。与野党問わず皆が涙したと言うエピソードも頷けます。その頃は「好敵手」「敵ながらアッパレ」など相手を認め、尊敬する言葉が生きていました。。当時はまだ政治に信頼関係がありました。

ところが、この10年 世の中はアメリカのトランプ元大統領が取った「敵か味方か」の手法で世論は分断され、日本も同じようなことをしている。
最近の政治をする人は 国民のことよりも自分の選挙のことに関心があり、法律すれすれの危険水域を警戒無しで歩いています。常識的な知識・情報はないのでしょうか。
「規矩準縄」(きくじゅんじょう)と言う言葉があります。家を建てる時、定規<規>コンパス<矩>水平器<準>といった道具が必要です。転じて物事を考えたり、行ったりする時の規範を言う言葉ですが、この基準がロシアのウクライナ侵攻で崩れ、日本の政治家も言い逃れ、誤魔化しで政治倫理も風前の灯火です。
70年前は「末は博士か大臣か」と子供達にいわれたことがありますが、博士はともかく大臣になりたいと言う子供は 現在はいません。
2022年(令和4年)9月23日(金)秋分 旧暦8月28日 NO212
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