2014年
5月
05日
月
四十三年ぶりの再会
晴耕雨読の彼が 伊集院静の「文字に美はありや」(文芸春秋)を教えてくれました。早速 遡って通読しましたが、作家の目から見た王羲之は、書の専門家の話にはない面白さがあります。
その中の記事から ヒントを得て創ったのが、ここに掲げた作品です。
2014年5月5日 立夏 旧暦卯月(4月)10日 No10
2014年
5月
21日
水
テーマを決めて創る

適当に テーマを決めて仲間と共に、書で表現する試みをしました。過去に書き溜めていた 作品を整理して並べてみました。
改めて気が付くことは その都度ひらめく感性は紙上に残さなければ、泡のように消えていたものです。
上の「根源」はウオーキングで 山奥に入った時、見ている巨木に神霊を感じ、自分の拠りどころと 考えて書いたもの。
「時刻」は時代劇で聞く「丑三つ時」は今の時間では?
いわば 私の覚え書きです。
「縁」 男と女の縁は 赤い糸で結ばれていると、言われていますが現代のように簡単にくっつくスタイルには当てはまらないかも知れません。
「つゆ」 ガラスに 結ぶ露は、遊んでいるように見えます。
2014年5月21日(水)小満 旧暦 卯月(4月)26日 No11
2014年
6月
06日
金
大きな欅の板に「校歌」を書きました
長さ3.15m 幅95㎝の板に書きました。
筆は之謙用毫の小(4,7㎝)、墨は木簡墨。
所要時間1時間、原稿はあるものの誤字と字の流れには要注意。
紙と木の筆触は異なり、感覚を掴むのに一苦労です。
薄氷の上を歩いて 対岸に渡るような緊張は、体重が激減する形で表れた。
後輩達が私の書いた「作品」を見ながら歌うと思うと「充実した人生を」と念じられずにいられません。
2014年6月6日(金)芒種 旧暦(6月)12日 No12
2014年
6月
12日
木
草刈をしました。

4日の揮毫の疲れが治って 今日は草刈です。
早春から今頃までは 草刈コードという紐で
草を千切るように、除草します。しかし、
次の除草は チップソー(円形の のこぎり)で
ないと草が硬くなっているから切れないですね。
百姓をしている友達から 当初、「へっぴり腰」
と冷やかされましたが、今は 要領を覚え、
楽になりました。筆の扱いも同じです。
2014年
6月
21日
土
プチ・溪水美術館・K邸
2014年
6月
29日
日
炎暑を凌ぐ 我が家の工夫

私の家に クーラーを設置したのは2007年
8月のこと。その頃から 日本の気象は変わってきました。
地球規模で変化する気象に 異を唱えても
どうする事も出来ません。小さな庶民の
我が家の抵抗は 出来るだけ住まいを
涼しくすることでした。
1、家の周りに 樹木を植える。
2、井戸水を利用して 蹲(つくばい)に水を流す。
3、爽涼感のある物を 目につくところに飾る。
涼しい夏を 演出するために、飾り団扇を書きました。
表には文字、裏には絵を入れました。
出来上がった団扇は 野菜など下さる近所の人や、
世話になった方に 配ります。
2014年
7月
04日
金
プチ・溪水美術館・S邸
S氏は 自らが設計した洋風の家に、
3年前から住んでいます。
始めて訪れた時、豊富な空間に 私の作品を
並べて見たいという 欲求に捉われました。
我が家に 眠っていた展示会に出展した作品を
持ち込んで 飾って貰いました。
作品が 水を得た魚のように 生き生き見えました。
山頭火のこの句は 極貧時代に出逢った思い出の句。
上の「孫子の兵法」は私の処世訓のひとつ。
左上から順に
夕焼け小焼け(2001・5)
甲骨文で書いた「動物たち」(2003・10)
丁寧(2006・3)は藤の蔓で書きました。
般若心経 30年前に100枚以上書いたそのうちの1枚
大道(2007・8)稲の取り入れを終わって10日ほど
経った時、生えてくる2番穂(ヒツジ)を束ねて
即席で書きました。
運根鈍 ろうけつ染めの 暖簾は和風より洋風の部屋に
似合いそうです。
2014年
7月
22日
火
57年後の後輩の皆さんへ
(校歌額揮毫の感謝状贈呈式に出席して)
私は昭和34年(1959)この学校の定時制を 卒業しました。
昼の仕事を終えて、夕方6時~9時の授業は疲れて
居眠ることもありましたが、充実していて楽しかった。
齢の離れたクラスメート、ユニークな先生方が多くおられました。
化学のU先生の授業は「そもそも・・・・」で始まり、途中から山の話に
切り替わることが たびたびでした。隣市の高校登山部の遭難事件を題材
した井上靖の「氷壁」があるが、この遭難時 救助活動に参加された。
「その質問は解からないので、来週調べてきます」と誠実に対処して下さった生物の I 先生。
「月給の1割は本代に当てよ」言ったK先生は 大学を出たばかりの歴史の先生。3年生4年生と続けて担任して下さったが、放課後教えてくれた
ロシア民謡は今でも口ずさむことが出来る。また当地ゆかりの「英一蝶」
(1652~1724元禄時代の画家、三宅島に12年間流刑)の研究
の話に私達は 刺激された。K先生とは卒業して数年後、京都美術館でバッタリお会いし、「書を始めた」と打ち明けました。
夜の学校は 暗く寒く、学力は期待できなかったが、「血湧き肉躍る」
青春時代。さながら、山田洋次監督の「学校」を彷彿とさせます。
16歳からつけている日記を 読み返してみると、恋文を書いて渡せなかった悩み、謝恩会に毎年 演劇で参加したこと。生徒会総会で侃々諤々の議論をしたこともあった。その論敵も4年前に鬼籍の人となりました。
劣悪な教育環境だったが、学ぶことの幸せを知ったのは有り難かった。
コツコツと誠実に積み重ねてきた57年間の結晶が、母校の校歌額の揮毫
をさせて貰って 恩返しが出来たかなと思っています。
2014年7月23日(水)大暑 旧暦6月(水無月)28日 No15
2014年
8月
04日
月
たかが 草履作り されど草履作り

この地区の福祉委員会(民生委員・福祉委員で構成)が主催する
「わら草履作り&料理教室」の催しも ことしで6年目。当地の70%の
子供達が集まりました。
私は チビッ子チーム(幼児~小3)を担当しました。

2014年
8月
07日
木
二十四節気・七十二候を暮らしの中に

今日は立秋。朝5時半に 犬の散歩に行きました。
ひんやりとして、もう秋だなあと思ったのも
束の間、太陽が昇ると 気温はぐんぐん上がって
30度。秋の感じは消えてしまいました。
最近の季節感は 不快感を超えて、恐怖さえ感じます。
二つ作品は 2006年・2007年に書いた作品。
志賀 勝著「月の誘惑」(1997年初版)を読んで、太陽暦では
味わえない幸福感を 感じました。
1872年(明治6年)に採用された太陽暦は きちんと年月が決まり
農業など産業の社会には 便利です。春夏秋冬は おおまかにわかり
ますが、細やかな季節感はわかりません。 「二十四節気・七十二候」を
重ねることで、より鮮明になりました。
「二十四節気・七十二候」は古代中国(522年)で出来ました。太陽の
運行する道(黄道)を24等分して それぞれ名前をつけました。
8月7日が「立秋」と 言われてもピンとこないのは 古代中国での
呼び名を そのまま日本列島に あてはめたからです。
「七十二候」は 「二十四節気」をさらに三等分して、より細かな季節を
表現しています。8月7日が「涼風至る」というように。
2014年
8月
16日
土
NHKラジオ体操の公開放送に参加しました
自宅を5時前に出て、5時半開場。1500人の市民が集まりました。
顔見知りの人たちも チラホラ参加しています。
6時開会式、市長、放送局局長などの挨拶に続いて、リハーサル、本番。
「第2」は余り知らないので 私の動作はチグハグだったと思います。
昭和3年から始まったラジオ体操は、我が国の生活に定着したようです。
ラジオ体操のような文化は、世界の中で 日本だけだと聞いて驚きました。
私は「健康寿命」の三大要件は 運動・食事・睡眠だと思っています。
これから、毎日のウオーキングに加えて、ラジオ体操を日課にします。
2014年8月16日
2014年
8月
25日
月
私の健康テキスト「貝原益軒・養生訓」

大阪の知人から 毎年頂く年賀状や暑中見舞い状
に添付されている「貝原益軒・養生訓」は今まで
さほど気にかけて いませんでしたがこの頃は
心に染み入るように理解できます。
今年もこのような文章を送って頂きました。
貝原益軒(1630~1714)は江戸時代の儒学者、教育家、本草学者
(薬物についての学問)で この養生訓は、亡くなる前年の84歳の時、
書かれたものです。
人間は 自然や宇宙と繋がっているという「生命観」をもとに普段の食事
や生活を 具体的に指南してくれます。
ともすると、自然を無視して 暮らしている現代のわたしたちに、本書は
意義ある示唆を 与えて呉れているようです。
感動したこと、役立つニュースを作品にするのが、私の仕事だと思っていますので、早速、色んな形に書いて見ました。
2014年
9月
08日
月
稲作り名人の米はうまい

今年は8月末から長雨で お百姓さんたちは
雨天を縫うようにして 稲刈りをしています。
今日は「白露」で「中秋の名月」。きびだんご
と一緒に新米を食べました。
新米はモチモチして美味しい。混じりけなし
の真水を田んぼに入れるのですから当然です
が、稲作り名人の腕がものを言います。
私の家は親の代から 同級生のU君からお米をわけて貰っています。
U君は小学生の頃から おじいさんの腕の中に包まれるように、牛と一緒に田んぼを鋤いていました。田んぼのない私は それが羨ましく、いいなあと思いながら眺めていたことを思い出します。
牛から機械に変わりましたが、今は孫息子を 機械の台に乗せて作業しています。微笑ましい風景ですが、小さい頃から田んぼに馴染ませる事は、後継者を育てる上での 必須条件です。
田んぼの世話は大変です。田植え、水の管理、草取り、施肥、取り入れまで約4か月気が抜けません。電気柵を張って 鹿、猪などの獣害から稲を守らなければなりません。このような手間、費用を換算すると割りに合わないと言いますが、黄金色に染まった稲が 強風に倒れることもなく、なびいています。
そんな技術を身につけ、美味米を作るU君は「稲作り名人」です。
2014年9月8日(月)白露 旧暦8月(葉月)15日 No19
2014年
9月
23日
火
立原位貫さんの講演を聞きました

日本建築家協会三重地域会が主催した立原位貫さんの
講演「木版画 江戸から現代その変遷を通して見えて
くる日本の創る力」を聴きました。
立原さんとは26年ぶりの再会です。四日市に住んで
おられた時は自宅に伺って、浮世絵、陶芸、書、絵画
などの話しに強く影響を 受けました。
立原位貫さんは私の「美の師匠」です。立原さんは浮世絵の復刻と「絵を描く」「彫る」「摺る」3工程をひとりで行う木版画家。1951年生れ. 以下は 講演の聞き書きです。
版木は 山櫻の根から2mぐらいを板目に使う。桜は粘りがあって、細い線が彫れる。以前は梓の木を使った。
和紙は楮、三椏を原料とするが、最近は酸性雨の影響で、繊維がそれに負けまいと頑張るから 強く太いだけの 繊維の紙しか出来ない。
絵具の原料は 貝、丹、べんから といった鉱物と植物。現代の絵具は一切使わない。基本色12色、それを混ぜて135種類になる。
江戸時代から伝わる技法を 独力で研究してきたから、後に続く人には
材料や知識は提供するが、教えないと言う。
立原さんの話しは 私の心底を 揺さぶる不思議な力があります。
2014年
10月
01日
水
熊谷守一展を観ました。
岐阜県美術館で開催中の「熊谷守一展」を観ました。
(9月1日~10月19日)
私が「熊谷守一」(1880~1977)の名前を知ったのは50年前。
倉敷美術館に展示されていた「陽の死んだ日」を見た時です。
次男の陽が 息を引き取った後、30分で描き上げたという絵から悲しみ
と もどかしさが伝わってきます。4歳で死んだ息子の治療の為、「絵を書いて下さい」と言う奥さんの願いに「こんな時、とても描く気になれぬ」と葛藤しながら、オロオロしている情景が目に浮かびます。
守一の父は 製糸業を営み、岐阜市の初代市長・国会議員を勤めた絶対的な存在だったが、守一22歳の時、急死しました。
1967年 87歳の時、文化勲章の内示を受けましたが辞退、その無欲恬淡とした潔さが 感動的でした。
先輩のN先生は 晩年の守一の家(東京・千早町)に出入りを許された人ですが、「守一先生は蟻の生態を 一日中眺めているような 子供のようなお人だった」と、生の暮らしを教えてくれました。
幼児の持っている純粋な感性を 98年の生涯、失わなかった人です。
人は年齢が上がるにつれて 世俗の垢にまみれます。その垢をどうしたら
防げるか、私にとって守一芸術は 大きな清浄剤です。
2014年
10月
08日
水
米壽の壁を乗り越えるには

私の街の敬老会には 75歳以上の方が招かれ、
その中で 百歳お一人、米壽18人の方に記念品
と「お祝いのことば」が贈られます。
私が 賞状の揮毫を担当して6年目「溪水さんの
書いた賞状を貰うのが、楽しみ」と街の知り合い
に、声をかけて貰うのが嬉しいです。
賞状を書きながら、思うことがあります。人生には「米壽の壁」があるのではないかと。88歳直前まで、お元気に働いておられた方が、ある日、突然入院と聞いて驚くことがあります。壁をうまく通り過ぎれば、天壽を全う出来るのに ちょっとした油断や怪我をして 身体を壊しておられる人がいます。
「人は 30,40を越えては おとろえゆくものなれば・・」と言う良寛の有名な書翰がありますが、人は それぞれの機能を少しずつ失いながら、緩い右肩下がりのカーブを 描いて衰えてゆきます。
その点を 先ず認めて暮らせば、それなりに生きられるのではないかと
思います。
2014年
10月
24日
金
調和美を求めて 盆栽と書展

毎年この頃になると、そろそろやろうかと
声を掛け合って 28年がたちました。
盆栽・山中蓬庵 書・松井溪水とその一門
の有志が、気楽な気分で陳列します。
多少 不備があっても、盆栽の山中さんが
バランスをとってくれます。
長年の信頼関係あってこそです。
左から「虚にして人を受け入れる」(易経)
王羲之の蘭亭の序「仰いで宇宙の大を観る、俯して品類の盛を察する」
書き表具 二点。あらかじめ表装された上から 揮毫する形式。
左から「少なければ 則ち(物を)得る」・「一期一会」
2014年10月23日(木)霜降 旧暦9月30日(長月)NO22
2014年
11月
07日
金
調和体作品を書く その1

調和体作品は 全く別の新しい分野の
書芸術です。「漢字」や「仮名」のような
完成されたイメージに 影響されると、
迷路にはいります。従来の臨書や構成など
の勉強方法を 捨てることです。
右は 岡本太郎の言葉を 稲の二番穂
(ひつぢ)で書きました。
左 陶淵明の詩 5人の息子のことを愚痴っています。
右 小泉信三が 息子の信吉にあてた手紙。良寛の文字を集字しました。
白隠は大衆に仏法を 広めようと、難しい仏語を解かりやすい文字や絵で書き、
蕪村は 絵入りで「奥の細道」を書いています。また良寛は「食べ物を下さい」
と無心する手紙を残しています。一例ですが、それぞれ立派な調和体作品です。
2014年11月7日(金)立冬 旧暦閏9月15日 NO23
2014年
11月
23日
日
蘆花浅水荘は扁額の宝庫

滋賀県大津市にある日本画家 山元春挙(1871~1933)の旧別荘を訪ねました。お孫さんの寛昭氏に案内していただきましたが、邸内にある扁額に魅入られてしまいました。古今東西の名品が 並んでいます。
他にも 春挙の遊び心が 柱や障子などに
工夫が凝らされ、その道の専門家にはアイデアの宝庫と言ったところです。
左から 残月(仙厓) 巍然(隠元) 無我(貫名海屋)
終始一貫(九鬼隆一) 竹有和気(沢庵) 画禅一味(鷲尾光遍)
2014年
12月
07日
日
小学6年生の ろうけつ染め

地元小学校6年生のろうけつ染めの授業をしました。
今年で9年目です。
一回限りの一発勝負。溶かした蝋を筆につけ、児童が考えた大切な言葉を 好きな書体で書きます。
書き上げた布は 柿渋の液で染めます。1か月程、
置いた後、熱湯で蝋抜きするのです。
この作品は コミュニティーセンターで展示した後、
卒業式の式場に飾ります。
子供達の 一生の宝になるはずです。
田舎の子供達は 美しい自然に囲まれて育っています。美しい自然は 人間の脳に、どんな影響を与えるのでしょうか。
山の紅葉は赤・黄・緑の色の変化があり、川のせせらぎと鳥の声のハーモニー、
これら手の届くところにある自然現象は 将来 創造する仕事につく人や 企業で働らく人にとって 自分独特のアイデアを 捻り出せる力を貰います。
また田舎の子供達は 家業の農林業の技術や 仕事に使う道具作り(わら細工・竹細工)の技を 周囲の大人から教わります。
50年前の人々は 柿渋を臼で搗いて 汁を作り、塗りました。防虫効果、用具の補強にもなったのです。この用法を ろうけつ染めで使いました。
昔から伝わる伝統技術と 学校で習う知識とを重ねれば、大きな力を発揮すると思います。
2014年12月7日(日)大雪 旧暦10月16日 NO25
2014年
12月
22日
月
正月飾りを始めました

二至四立(冬至・夏至・立春・立夏・立秋・立冬)を軸に「二十四節気」が定められ、なかでも冬至は、その中心。私の感覚では この日を境に序々に日が長くなって、寒さが和らいでいるように思います。
友人の庭師・蓬庵さんが 正月飾りの盆栽を 持ってきてくれました。軸の話題になって33年前に書いた
軸の縁起を取り出してきました。
背景の軸は 古谷蒼韻先生の万葉集「若乃浦」。
画には意味があります。滝を昇る鯉の画は出世。四季の花で 梅は子宝や財産に
恵まれる。菊は言う事を叶えてくれる。南天は 難を転じる。牡丹は百花の王。
山水の図の内 老人が描かれていると 長寿を意味し、冬景色は幸福が来る事、
舟や橋は 世渡りが上手く行くように、家の画は 家の平和の意味がある。
松・鶴は昇格、松・鯉は何事にも勝つ。雀は商売繁盛、孔雀は福を招く、虎は家の守りと言うように それぞれの願いが込められているのです。
2015年
1月
06日
火
年末年始の筆墨三昧

明けましておめでとうございます。
年末から年始にかけての半月は 色紙書き
以前から頼まれていた お寺の庫裡の襖の作品作りに明け暮れました。
150×52㎝の用紙に3セット12枚書く。
色紙は例年のことですが、世話になった近所の人に差し上げます。
墨を磨りながら、テレビで座談会を聞いていて日本は今 大きな曲がり角に来て
いると感じます。私達のように伝統技術を堅持しながら、新鮮なものを追求する
生活を日常的にしていると、レールから外れようとしている世相の事々の原因が
手に取るように解かります。
芭蕉の言った「不易流行」(変えてはならないことは変えない、変わらなければならないこと変える)の意味を深く考え、筆墨生活を通して自分を 鍛えたいと思います。
ホームページ「つれづれなるままに」の変わらぬご閲覧をお願します。
2015年1月6日(火)小寒 旧暦 霜月11月16日 NO27
2015年
1月
20日
火
九歳の児童が書く書には 神秘性がある

なんと自由なのだろうか。
筆で書く経験が浅い小学3年生は 知識も体験も皆無に等しい。そんな子供達が作品を創る
現場に立ち会っていると、50年以上も書に
携わっている私は たくさんの物を修得したが
また、失ってしまっている物も多いと気づきました。
起筆点は指導しますが、線を引くのは子供自身です。私が思っている方へは線を
引いてくれない。子供自身が書いた偶然出来た線と形。計算しない無作為の書。
私達大人では 為しえない創作の醍醐味です。
大人達は どうして作為的になって、小さくしてしまうのでしょうか。
大自然の神秘を感ずるように 子供達の持つ神秘性に 私が求める書の秘密が
あるように思います。書を指導しながら、子供達から学ぶ「ギブアンドテーク」の関係を続けたいものです。
昨年暮れから 今年初めにかけて五歳、九歳、11歳の子供達に 作品を書いて貰いました。地元のコミュニティーセンターに 順次 作品を陳列して、街の人に見て頂いています。
2015年1月20日(火)大寒 旧暦 師走12月1日 NO28
2015年
2月
04日
水
こんな古典を勉強しました

「貴方は どんな古典が好きですか?どんな勉強をしましたか?」と言う質問をよく受けます。
余り考えたことは有りませんでしたが、改めて昔の資料を調べて見ると、多岐にわたって 勉強していました。
最近、何十年ぶりかで「良寛」を臨書したら、全く気づかなかった魅力を 発見出来ました。
篆・隷・行・草体は勿論、木簡・残紙、王羲之、甲骨文、金石文等を創作に使い
日本の古典も良寛、佐理など好きだと思うものは 深浅別にして吸収しました。
勉強の基本的な考え方は「低い山より、エベレストのような高い山に登る」事で
一貫していました。明清時代のものより、木簡や王羲之に挑戦したのも、すぐ
修得できる連綿より、難しい単体(一字づつ書く)にあこがれたからです。
その前に 無謀にも「遺偈」(ゆいげ・禅僧が亡くなる時、大悟の心境を四言四句や七言絶句の形で書く)の研究と創作に 費やしました。
その後,木簡に移り 日展に出品しますが、いつも落選していました。そんな時
著名なF先生から「木簡はまだ書道界で市民権を得ていない。王羲之を取り入れてはどうか」とアドバイスを頂きました。以後、木簡の見方が深まり表現方法も広まったように思います。
漢字と並行して、「調和体」にも興味をもちました。「良寛」が好きで 臨書に夢中になり、「与謝野蕪村」や「高村光太郎」にも手を伸ばしているうち、自然と私流の 仮名が出来て行ったように思います。
2015年2月4日(水)立春 旧暦 師走 12月16日 NO29