2016年

12月

21日

コラボレーションⅡ 木工扁(書画と木魂展)

12月16日(金)~20日(火)まで 喜多芳文君と「喜寿を迎える同級生の書画と木魂展」を開催。連日多くの人が観に来てくれました。

同級生、地元の人達、親戚縁者、OB仲間達は作品鑑賞しながら、観客同士の交歓風景が見られました。

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2016年

12月

07日

子供たちよ 小さい内に脳を鍛えよう

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2016年

11月

22日

齋藤 史(ふみ)と言う歌人

私が齋藤史と言う歌人を知ったのは

2002年4月26日に亡くなった時の

新聞記事でした。享年94歳。

「濁流だ濁流だと叫び流れゆく 末は

泥土か夜明けか知らぬ」等何首かの歌を

読んで、「なんと歯切れのいい歌か」と

感じたし、新聞の写真(19歳)を見て

聡明な美人だ!と思いました。

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2016年

11月

07日

コラボレーション1 盆栽扁

異業種とのコラボレーションは刺激的で面白い今回は10月29日・30日に開催した「盆栽と書展」の紹介をします。

盆栽を陳列するのは山中正好(蓬庵)さん

30年にわたる友人です。山中さんは この日に照準を合わせ、特に実をつける樹の調整は

苦労するようです。後ろの壁には松溪塾生の自由参加作品と 私の作品を飾ります。

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2016年

10月

22日

夏目漱石の「吾輩は猫である」

1986年(昭和61年)第9回「長興書展」出品作。

この年の課題は「夏目漱石」。中国河南省でも

展示する企画でしたから、「吾輩は猫である」の冒頭部分を中国語で紹介する工夫をしました。

翻訳は 中国語を学び始めた親戚のおじさんに

頼み、漱石がスケッチした猫の絵をカットに

借用。筆は胎毛筆を使用しました。

 

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2016年

10月

08日

穭(ひつじ)筆で書きました

8月下旬に刈り取った二番穂も こんなに伸びました。

俳句では二番穂のことを「穭」(ひつじ)と言うそうですが、お百姓さんが田んぼを鋤いてしまうと土の中に埋もれてしまいますから、その前に

ハサミで少しだけ失敬しました。

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2016年

9月

22日

英一蝶(はなぶさいっちょう)物語

恩師 S先生から「英一蝶」のレポートを 頂いたのは25年程前。

郷土の偉人が 亀山市本町で少年時代を過ごしたことや 英一蝶の作品が、江戸時代の風俗画の浮世絵や与謝野蕪村と共に 我が国の代表的な絵画の世界の一画を占めていたと言う史実は 特筆すべきことです。

 

「石川昌勝」が亀山の殿様として移封されて来た時、「多賀白庵」が侍医として随ってきました。慶安4年(1651)のことです。

多賀白庵の子供「猪三郎」が後の「英一蝶」(1652~1724)。

猪三郎少年は 医学より絵を描くことの方が好きで、藩の家老は 江戸に出て

絵の修行を勧めました。15歳で上京して、狩野探幽の弟安信に入門。

しかし、創造性のないマンネリ化した狩野派の画壇に飽きて、新分野の風俗画の世界に進みました。例えば、「市中の飴売り」「丁稚の口論」「雨宿り狼狽」等

ユーモラスで機微に富んだ絵を多く残しました。

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2016年

9月

08日

會津八一は新聞の活字から書を学んだ

会津八一(1881~1956)は

私の好きな書人です。

書は専門でなく、早稲田大学で英語を教え、宮中歌会始で召人を勤めた程の歌人でもありました。

声が大きくエネルギッシュな巨漢だったようです。

 

西川寧先生が因襲的な書壇に 風穴を開けようと、会津八一を 日展の審査員に推薦しましたが、尾上柴舟氏の強烈な反対で、「幻の審査員」に終わりました。その時、出品しようと思っていた作品が掲出の「林下十年の夢 湖辺一笑新た」(1948作)です。のびやかで明るく とらわれがない。

もし、会津八一が日展の審査員を勤めていたら、書壇の現状はだいぶ変わっていたでしょう。

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2016年

8月

23日

幸福になると健康になるって本当?

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2016年

8月

07日

TへのNECROLOGY(追悼文)

大好きだった従兄の T が死んだ。83歳と4ケ月。私は幼少期、理由はわからないが 伯父さんの家で育った。私専用の箱膳まであった。8人の従兄弟の中で大事にされて育ったのだ。優しい姉さんもいたが、とりわけ、T は私を可愛がってくれた。それは終生続き、齢をとって叱ってくれる人が いなくなると、困るので 私の怖い人の役目を引き受けてくれたのである。つまり、私が傲慢にならぬよう苦言を呈してくれた。

齢は八つ離れているから、五六歳の頃から 金魚の糞のように付きまとい、喧嘩の強い兄ちゃんが誇らしかった。村人は鈴鹿市にホンダ技研が進出して来るまで

百姓と炭焼きが正業で、10キロ離れた県境まで往復5時間を 盆と正月以外、

毎日 重い荷物を持って歩いて通った。後年「炭焼き仕事の事を考えたら、会社の仕事は 遊んでいるようなものだ。こんな高給を貰っていいのだろうか」と述懐したのを 聞いたことがある。

T は25年前に腎臓がんの大手術をし、4年前にまた、敗血症で危篤。亡くなる半月前まで 入退院を繰り返す合間に畑仕事をしたり、電動車で散歩していた。並みの生命力ではなかった。

T は裏表なく良く働いた。告別式で喪主を勤めた長男は「父は子煩悩でした。5人の孫に対しても孫煩悩でした」と言う通り、車椅子にのって、孫娘のピアノ発表会に上京したり、孫息子の大学を見学するため神戸に行ったり その行動力に驚いた。最晩年の2年間は 奥さんに辛く当たったが、8人の兄弟の4番目と言うのは親の愛情が届かない位置、お母さんの代わりを奥さんに 求めていたのだろうか。「蓋棺事定」(棺を蓋いて事 定まる)と言う言葉があるが、T が何を残したかは お孫さんたちを見たら良くわかる。

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2016年

7月

22日

私の防暑法

今年も猛暑が続きます。テレビは熱中症の危険を連日報じています。

村の出会い仕事で 村人は「我々は熱中症には

縁がない」と言う。それもそのはず、彼らは

4月下旬から田んぼに出て、真っ黒になって

働いているのです。これを「暑熱順化」(暑い季節への変化に応じて自らをうまく変えること)と言うことらしい。

私もこの暑さに負けられないので、いくつかの「防暑法」を考えました。

 

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2016年

7月

07日

拝啓 キョウコ様(日本新工芸展を見て)

6月末、京都市美術館で「第38回日本新工芸展」を見ました。貴女の染織の作品を拝見して

驚きました。お母様のご案内で 大阪・茨木の個展で見て以来ですから。

ご精進の賜としての この作品は染織なのに

絵画としての構図も色彩も素晴らしく、どんな技術で制作されているのか興味がわきました。しっかりした原画を元に染色するプロセスは 異業種の私の仕事にも 参考にさせていただけそうです。

この絵のような風景は 私の田舎でもよく見られます。「どこか遠くへ」の題名は神秘的で

夕日に彩られた雲の色は 哀愁を漂わせています。(作品の大きさ 149×115㎝)

 

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2016年

6月

21日

こつこつ生きるコツコツ書く

20年も前に書いた作品ですが、75年の私の人生を 貫く心棒みたいな

標語です。

先日、創作の姿勢や 生き方を尋ねられた時、とっさに答えた言葉です。

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2016年

6月

05日

25年前の私の小説

今回の「溪水書展」の整理をしていたら

25年前の私の小説が出て来ました。

ペンネーム「いしみずけい」、内容も

執筆した様子も忘れていました。

1991年 51歳。書道の世界では何

を書いても、面白く楽しい時でした。

私が所属していた会は 毎年テーマを決めて 大規模な書展を開催し注目を 集めていました。私は日展など公募展の創作より

このテーマ展が好きでした。「夏目漱石」「良寛」に続いて「原始性・素朴な世界の古意を探ねよ」と言う出題に対して、白川靜の「甲骨文字」を想起、自分が

パイオニアと言う意味の「我より古(いにしえ)と作(な)す」(自我作古)を語句に選びました。

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2016年

5月

20日

溪水書展(回顧展)開催中

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2016年

5月

05日

街中にある溪水の書10選

連休の晴れた日、街角にある私の作品を

見て歩きました。書道を始めて53年に

なりますが、私の仕事を 俯瞰的に見る

のも意味があるのではないかと 思った

のです。

 

左の作品は ショッピングセンター会議室

「功を建て業を立てるは多くは虚円の士なり。事を僨(やぶ)機を失うは必ず執拗の人なり」(菜根譚197)制作1986年日展

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2016年

4月

20日

熊本地震被災者の皆様にお見舞い申し上げます

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2016年

4月

04日

檀家寺・常信寺のお祭り

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2016年

3月

20日

小学校卒業おめでとう

卒業証書を揮毫して12年目になります。

昨年12月には「わらべ染め工房」の協力で

「ろうけつ染め」の授業をしました。

その日、「刹那」の感覚を磨くことの大切さ

を話しました。

「刹那」とは 「指でパチンとはじく間の65分の1の時間」だと仏語辞典にあります。

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2016年

3月

05日

百歳万歳

我が国の百歳以上の人は 6万人を越えました。(50年前は252人)。お元気で百歳を迎えられる人は稀で その内87パーセントが女性です。

私の近所に百歳を迎えられた人がいます。同級生のU君のお母さんです。私はお祝の気持として「百歳万歳」(いつまでも栄える)を書いて贈ろうと考えました。

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2016年

2月

19日

監督の仕事は人間教育や

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2016年

2月

04日

ピカソ&日展を観て

愛知県美術館で開催中のピカソ(10階)と

日展を観ました。

ピカソ(1881年~1973年)は91年の

生涯を天才芸術家として君臨し続けたのですが、

私には正直、理解できない巨人です。

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2016年

1月

21日

才能は待ってやれば開くー小3デカ書道ー

1月13日(水)恒例の「デカ書道」の授業に

地元小学校まで出向きました。

「デカ書道」と言うのは 初期の児童がベニヤ板

(180×90㎝)の大きさに書いた時、誰言うこともなく「でっかいなあ」「デカ書道」と呼ぶようになったのです。

それ以後、卒業式の来賓の肩書も 普段子供からも「デカ書道の溪水さん」と呼ばれています。

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2016年

1月

06日

申年の色紙を描いて思ったこと

「去年今年貫く棒の如きもの」(虚子)と

詠まれたように、あっという間に年末年始が

過ぎてしまいました。私は師走に入って一年で一番多忙な日々を過ごしたように思います。

地域のことや 家の正月準備に加えて、恒例の色紙揮毫に 多くの時間を費やしました。

「もう3匹のお猿さんを貰いましたよ」と言われて、四半世紀も書き続けていたことに気がつきました。

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