2017年
7月
07日
金
七夕まつりの日に思うこと

今日は 七夕まつり。七夕飾りは我が家の恒例の行事です。私は 10枚ほどの紙を渡されて、願い事と感謝の言葉を書きました。家族の平安を願う事はいつもの通りですが、台風3号で被災された福岡の人々が「これ以上、辛い思いをしませんように」と「国のリーダーが正しい政治をしてくれますように」と書きました。
1974年(昭和49年)7月25日、亀山も未曾有の
豪雨に見舞われ、陸の孤島になりました。私達は
「四九災」(しくさい)と称して、記憶を共有しています。
国の行く末は これで良いのだろうか? 余りにも遠くて手の届かないもどかしさにやきもきしています。「こんなことも解らないのだろうか?」と中学生の時に教わった「瓜田李下」(かでんりか)「李の下で冠を被りなおすな、疑われることをするな」私の骨身に浸み込んだこの言葉を 雲の上の人に届けたいと思います。
2016年
8月
07日
日
TへのNECROLOGY(追悼文)
大好きだった従兄の T が死んだ。83歳と4ケ月。私は幼少期、理由はわからないが 伯父さんの家で育った。私専用の箱膳まであった。8人の従兄弟の中で大事にされて育ったのだ。優しい姉さんもいたが、とりわけ、T は私を可愛がってくれた。それは終生続き、齢をとって叱ってくれる人が いなくなると、困るので 私の怖い人の役目を引き受けてくれたのである。つまり、私が傲慢にならぬよう苦言を呈してくれた。
齢は八つ離れているから、五六歳の頃から 金魚の糞のように付きまとい、喧嘩の強い兄ちゃんが誇らしかった。村人は鈴鹿市にホンダ技研が進出して来るまで
百姓と炭焼きが正業で、10キロ離れた県境まで往復5時間を 盆と正月以外、
毎日 重い荷物を持って歩いて通った。後年「炭焼き仕事の事を考えたら、会社の仕事は 遊んでいるようなものだ。こんな高給を貰っていいのだろうか」と述懐したのを 聞いたことがある。
T は25年前に腎臓がんの大手術をし、4年前にまた、敗血症で危篤。亡くなる半月前まで 入退院を繰り返す合間に畑仕事をしたり、電動車で散歩していた。並みの生命力ではなかった。
T は裏表なく良く働いた。告別式で喪主を勤めた長男は「父は子煩悩でした。5人の孫に対しても孫煩悩でした」と言う通り、車椅子にのって、孫娘のピアノ発表会に上京したり、孫息子の大学を見学するため神戸に行ったり その行動力に驚いた。最晩年の2年間は 奥さんに辛く当たったが、8人の兄弟の4番目と言うのは親の愛情が届かない位置、お母さんの代わりを奥さんに 求めていたのだろうか。「蓋棺事定」(棺を蓋いて事 定まる)と言う言葉があるが、T が何を残したかは お孫さんたちを見たら良くわかる。
2016年
1月
21日
木
才能は待ってやれば開くー小3デカ書道ー

1月13日(水)恒例の「デカ書道」の授業に
地元小学校まで出向きました。
「デカ書道」と言うのは 初期の児童がベニヤ板
(180×90㎝)の大きさに書いた時、誰言うこともなく「でっかいなあ」「デカ書道」と呼ぶようになったのです。
それ以後、卒業式の来賓の肩書も 普段子供からも「デカ書道の溪水さん」と呼ばれています。
2015年
11月
08日
日
小学1年生 縄をなう
地元小学校の要請で 工作用の縄を作る「縄綯い」の指導をしました。
以前「藁草履作り」で「師匠」役をした仲間たち5人が先生役です。
9時半に始めて、1時間過ぎても止めようとしない。余程 手仕事が面白いようです。縄綯いのコツを短時間で3分の1の子供が 掴んだのは驚きでした。
私は自分の体験上、書作の発想の源は 子供の頃の遊びや家業(炭焼き)の手伝いにあったと 思っています。70年前の農山村の家々は 仕事に使う道具は
自家製でした。わら細工(むしろ・俵・草履等)の基本は「縄綯い」です。
遊びも家業の手伝いも 創意工夫が共通点。「いい勘考はないか」といつも
考えていました。その延長線上に私の書業が あったように思っています。
2015年
6月
05日
金
「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」は人の生きる規範

5月中旬、ラジオで紹介されて この本を注文
したが、在庫なし。月末にやっと入手した。
この大統領は 南米ウルグアイのムヒカさん、
国民は親しみを込めて「ペペ」と呼ぶ。
2012年、ブラジルのリオデジャネイロで 開かれた国際会議で行った演説を意訳して絵本仕立にしたこの本は 在庫切れになるほど、人々に
感動をもって読まれています。
2015年
2月
19日
木
「相田みつを」 と「正法眼蔵随聞記」

今日は旧正月、冷たい雨が降っています。
2月15日のNHK「日曜美術館」で相田みつを
(1924~1991)を見ました。
テレビを置かなかった10年間の空白を除いて
「日曜美術館」は私の美術勉強の場。みつを作品の裏には 膨大な詩稿や記述があり、そこから 詩句が紡ぎ出されているのを知りました。
2014年
12月
07日
日
小学6年生の ろうけつ染め

地元小学校6年生のろうけつ染めの授業をしました。
今年で9年目です。
一回限りの一発勝負。溶かした蝋を筆につけ、児童が考えた大切な言葉を 好きな書体で書きます。
書き上げた布は 柿渋の液で染めます。1か月程、
置いた後、熱湯で蝋抜きするのです。
この作品は コミュニティーセンターで展示した後、
卒業式の式場に飾ります。
子供達の 一生の宝になるはずです。
2014年
11月
23日
日
蘆花浅水荘は扁額の宝庫

滋賀県大津市にある日本画家 山元春挙(1871~1933)の旧別荘を訪ねました。お孫さんの寛昭氏に案内していただきましたが、邸内にある扁額に魅入られてしまいました。古今東西の名品が 並んでいます。
他にも 春挙の遊び心が 柱や障子などに
工夫が凝らされ、その道の専門家にはアイデアの宝庫と言ったところです。
2014年
9月
08日
月
稲作り名人の米はうまい

今年は8月末から長雨で お百姓さんたちは
雨天を縫うようにして 稲刈りをしています。
今日は「白露」で「中秋の名月」。きびだんご
と一緒に新米を食べました。
新米はモチモチして美味しい。混じりけなし
の真水を田んぼに入れるのですから当然です
が、稲作り名人の腕がものを言います。
2014年
6月
29日
日
炎暑を凌ぐ 我が家の工夫

私の家に クーラーを設置したのは2007年
8月のこと。その頃から 日本の気象は変わってきました。
地球規模で変化する気象に 異を唱えても
どうする事も出来ません。小さな庶民の
我が家の抵抗は 出来るだけ住まいを
涼しくすることでした。
1、家の周りに 樹木を植える。
2、井戸水を利用して 蹲(つくばい)に水を流す。
3、爽涼感のある物を 目につくところに飾る。